この記事を見ているあなたは自由でしょうか?
まあ、自由と言ってもいろいろな種類の自由がありますが、今回は精神的な自由についての記事にしようと思います。
テレビでニュースをやっていると理不尽な事件や政治家や企業の不祥事、芸能人の不倫、ネット上では有名人、一般人問わず炎上と呼ばれる騒動があるものです。
悪さを行ったものを正義感の強い人が一方的に叩いている状態が往々にして起こります。
実はこの正義感というものが自分の精神状態を縛って不自由にしているのです。
そこで、中途半端な正義感を捨てることによって、精神が開放されて自由になります。
今回は正義感と自由について語っていこうと思います。
Contents
事件や不祥事を叩くのは正義感でからくるのか?
私は基本的に4大メディア(テレビ、新聞、ラジオ、雑誌)を見たり聞いたりしていません。
その理由はこれらのメディアが流す情報というのは自分に関係があるものが殆どないからです。
私以外の大多数の人もこれらのメディアで流される情報というのはどうてもいい情報なはずですが、ほぼ毎日にわたって浴び続けていると思います。
毎日のテレビのニュースでは良いニュースよりも事件や事故、不祥事といった悪いニュースの方が多いのが常であります。
悪いニュースが流れるたびに事件の犯人や不祥事の首謀者を炙り出して正義のもとに叩く人が一定数いますね。
有名人の不祥事を叩きたくなる心理とは?
例えば
芸能人の不倫のニュースを聞けば、不倫をした芸能人を叩く。
企業で不祥事のニュースが流れれば社長や担当者を叩く。
政治家が失言をしたら、発言内容の揚げ足を取って叩く。
こんな感じで正義感を持った者が勧善懲悪とばかりに悪人とする者を叩いているわけです。
不祥事を起こした当人はそれを認めなければ往生際が悪いと叩き、認めたら認めたでその所業を責めて叩いてくるわけです。
確かに不祥事を起こした当人というのは罪を背負っている分、これらの叩きには反論することが困難となって嵐を過ぎるのを待つくらいしか手がなくなってしまうものなのです。
今ではインターネットが行き渡っているため、個人でも公の場で誰でも見られる状態で発言することができます。
また、表向きは匿名性が非常に高いことから顔も名前も晒すことなく攻撃できるため、とても残忍な言葉で責めてしまう人もいるわけです。
本来は芸能人が不倫したところでそれは当事者とその関係者しか関係のないことです。
それを何の関係のない人が不倫が法律に違反しているとか、モラルがないとか謎の正義感を出して責め立ててしまうのです。
また、同様に企業が不祥事を起こした場合も迷惑をかけたのは株主やお客さんであって、なんの関係のない人がこれ見よがしに企業の罪を糾弾しているのです。
今はツイッターなどのSNSでこういった叩きのツイートがバズってものすごい数がRTされて拡散します。
これはいわば炎上という状態で、多くの人が叩きのツイートを見ていって、その叩きに同調したコメントをしたり、さらにRTをして拡散していくわけです。
中途半端に正義を振りかざすことは自分を縛る行為
本来は当事者同士のドラブルがなんの関係のない人がその所業を叩いて罪を糾弾するというのはとても危険なことだと思います。
それは不祥事を起こした当人は、罪を犯した負い目から何の関係のない人の叩きにも抗えないわけです。
ましてやこれらの不祥事が炎上状態になってしまうことというのは、集団ヒステリーのような状態であり叩きに参加した大多数の人は正気とは思えないわけです。
そして、これらの中途半端な正義感を出してしまうのは、自分に自信がないからここぞとばかりに反撃を受けない安全地帯から攻撃をするということです。
ではなぜ攻撃をするかというと、自分は善人でありたいと思う気持ちが強いからです。
実は自分は善人でありたいという思いが強いほど自分で自分を縛って、わざわざ不自由な状態になっていることに気が付かないといけません。
- 芸能人の不倫を叩いた人はこれ以降不倫をすることができません。
- 企業の不祥事を叩いた人は金輪際仕事でミスをすることは許されません。
- 政治家の失言を叩いた人は今後は自分の発言にいちいち責任を持たないといけません。
どうでしょうか?
自分が善人でありたいと思っている人は、今後、完全無欠な人間を目指さないといけなくなるのです。
こうして完璧主義に陥ると失敗することが許されなくなるので、挑戦することができなくなるのです。
これほど自分自身を縛って自由を奪われれて、わざわざ生きづらい世界を作っているのは自分なのです。
人間は生まれた時点で迷惑をかけています
浄土真宗を開いた、かの親鸞聖人は阿弥陀仏による救済は悪人を優先して救うという悪人正機説を唱えています。
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」
というのをもっとわかりやすくすると
善人でさえ幸せになれます、ましてや悪人の場合は尚更だ
というところです。
人間は生まれてからしばらくは親の庇護を受けないと死んてしまいます。
おなかが空いたら泣いて、おっぱいをもらいます。
おしっこをしたら泣いて、濡れたオムツを取り替えてもらいます。
暑くて汗をかいたら泣いて、寒くなれば泣いて、不安になれば泣いて、お母さんやお父さんを呼び寄せるのです。
こうして子供が泣くことで親に手間をかけさせるのは親に迷惑をかけているようなものです。
また、大きくなればイタズラをして親や近所の人に迷惑をかけることもあるでしょう。
大人になってさえも仕事でミスをしてお客さんに迷惑をかけるとか、車を運転して事故を起こしてやはり迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。
つまり、ここで言う悪人というのはほぼ全員の人間であると解釈してもいいでしょう。
ほぼすべての人間が悪人なんだから、中途半端な正義を振りかざして善人であろうとする意義など、いかほどあるのでしょうか?
こうした社会の事件や事故では罪を犯した者というのはしっかりと法のもとで裁かれるものです。
それをさらに何の関係のないものが正義の名のもとに叩くというのは死体蹴りに等しい行為だと思うのです。
みなさんもうお分かりだと思いますが、いわゆる4大メディアこそ正義マンの親玉みたいな存在であり、この世界の悪を炙り出して多くの人間に知らしめます。
これを見た人が正義の名のもとにさらに罪人を叩いて日頃の憂さを晴らしているというのが、今回のテーマでもある中途半端な正義感ということなのです。
この中途半端な正義感を行使すればするほど、あなたは不自由になってしまうことに気づいてほしいのです。
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私は独りネットビジネスで自活する40代の男です。
当初は努力や根性でたくさんのサイトや記事を書けば成功すると信じていました。
ただ、この考え方を改めて、マインドセットを独りネットビジネスに書き換えを実施中です。
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