このサイトの管理人でもある私は、長らくサラリーマンをしていました。
今から25年ほど前に地元の短大を出て、新卒で就職したのが大きな中古車販売会社でした。
よりにもよって新卒カードを使って、超絶ブラック企業に就職をしてしまいました。
このブラック企業に携わって、たったの3ヶ月で辞めた体験談を語ろうと思います。
Contents
20歳の時に超絶ブラック企業を引き寄せた話
私は商業高校から地元の短大を出て、中古車販売会社に就職をしました。
当時は社員が30人くらいの比較的大きな中古車屋でしたね。
この会社に入ってしまったのも、私の全く主体性のない学生生活を送っていた結果、流されてきたからだと思います。
この要因については最後に語ろうと思います。
短大2年生になっていい加減な就職活動
私は地元の短大に進学したわけですが、当初は併設している四大に編入するつもりでした。
ところが、私の中の決断と甘えで、やっぱり2年で卒業する道を選んだわけです。
そして、四大への編入を完全に諦めたわけですが、就活を思いっきり出遅れることとなります。
当時の就職活動というのは今に比べると、殊のほかのんびりしていました。
私が就職活動を開始したのが、短大2年生の10月くらいでした。
当時は既にバブルが弾けていましたが、まだバブルの残り香があったので、求人自体はそれなりに多かったわけです。
そこで求人のあった、かの中古車販売会社に応募して面接を受けてアッサリと内定するに至ります。
本来であれば、他の企業にも応募するところですが、この会社に決めて就職活動を終えてしまったわけです。
この会社に内定をもらって、翌週から学業がない週3日インターンというか、アルバイトとしてこの会社で働くこととなります。
これはいきなり翌年4月1日に入社する前に仕事に慣れてもらう、ということで会社からの申し出に答えたわけです。
時間は朝8:00~17:00の8時間となります。
このアルバイトの期間中にやったことは、来る日も来る日も洗車や室内清掃、ワックスがけを延々やらされました。
そして、納車や車の引き下げなんかで車の運転をすることとなります。
この時点で、「この会社はちょっとヤバイな...」とは感じていました。
ところが、もはや大半の企業は応募を終えていたこともあって、この会社に入るしかないと思いこんでいました。
そして短大を卒業して、この中古車販売会社に就職をするわけです。
中古車販売会社で上司のパワハラで身も心もボロボロ
翌春にこの会社に就職をして、私を含めて3人の新入社員がこの会社に入社をしました。
そして、3つあった営業課のうちの一つに私ともうひとりの新人女子社員が配属となりました。
そして、私の上司となったのが2歳年上のOというリーダーでした。
Oは当時22歳でしたが、見た目は恰幅が良い40歳前後に見える人間でした。
そんなこともあって、自分よりも二回りくらい年上のお客さんにも堂々と営業をしていました。
しかも、月に中古車を20台~30台くらい売りまくっていて、社長や役員からも絶大な信頼をされていました。
ただしOの素性は元ヤンというか元不良のようで、とにかく言動がキツかったです。
アルバイト時代からOより事あるごとに注意をされましたが、とにかく口調がキツくて口が悪かったのです。
Oからは結構長時間注意をされるので、とても精神ダメージを食って、毎日戦々恐々とすることとなります。
そして、この会社での営業社員の勤務時間というのは、朝8:00から夜20:00が定時であり、時には夜23:00くらいまで残されることもありました。
1日の仕事はやっぱり車の洗車と室内清掃、ワックス掛けが大半で、その合間にお客さんがやってきたら接客をするという仕事内容でした。
中古車販売会社というのは、車を見にくるお客というのは一般人からヤンキーのような人種もやってくるわけです。
当時は車が好きでこの会社に入ったので、「車の知識があるから接客もいけるだろ」と思っていたのですよ。
ところが、いざお客さんがやってきて「いらっしゃいませ↑」と声をかけたものの、話が盛り上がらずに気まずい沈黙が訪れます。
その後、お客さんの後ろを金魚のフンのようについて回るような接客も度々していました。
その光景は当然Oが見ているわけで、お客さんが帰ったらそのことで激しく怒られていました。
Oというリーダーはセールスマンとしてはとても優秀かもしれないですが、ハッキリ言って管理職としては無能上司でした。
社長も役員もOという人物の営業成績だけを見てその課のリーダーにしていたわけです。
私の接客が悪かったら怒られて、車が売れなかったら怒られて、車が売れても至らなかった部分を怒られて、何をやっても怒られるというダブルバインドのような状態でした。
このOからは叱るではなく、できないことを感情に任せて怒るという、今で言うパワハラ上司だったわけです。
とにかく上司として不器用だった男
ある日、Oと二人で話をしていて乗っている車の話になりました。
「俺はこれまで、クラウンとセドリックを乗り継いで今の車(ディアマンテ)を乗っている」
「あぁ、僕も3台車を乗り継いでいますね」
「オマエの乗ってきた車は全部ボロだろうが!」
「とにかく、車をたくさん売れば、好きな車に乗れるぞ」
といったマウンティングのようなやり取りをしたことがあります。
そして、私の次にどんな車に乗りたいかの話となりました。
私は当時はランドクルーザーやパジェロ、ビッグホーンといったオフロード四駆が欲しかったのでそれを伝えました。
「オマエ、そんな車に乗ってお客さんのところに商談に行くのか?」
と、意味不明なことを言われました。
私はヤンキーが乗るような下品な車は良くて、オフロード四駆がダメとか意味がわかりませんでした。
おそらくOは私にやる気を出させるためにこのような話題を振ったのだと思います。
とはいえ、私の予想外の返答によってこのような流れになったのだと思います。
Oも当時は22歳だったこともあって、その若さゆえにリーダーの器ではなかったのです。
会社側も営業成績だけを見てOをリーダーにしたというのも、組織としての在り方がわかっていなかったのです。
学生時代の主体性のなさが超絶ブラック企業を引き寄せた
この中古車販売会社では、入社からたった3ヶ月で退職するに至ります。
当時は長時間労働と月4日~5日という少ない休みで、その少ない休みも商談や納車で休みが潰れることがありました。
さらに、Oはまったく仕事を休まない男だったので、ほぼ毎日Oと会社で顔を合わせることなります。
そのたびにOからのパワハラを受けるかもしれないという恐怖があったわけです。
Oと顔を合わす日が少なかったら、もっと長続きしたかもしれません。
今だからわかることですが、悲しいかな中小企業というのは新入社員の教育の仕方を知りません。
肝心なことは何一つ教えてくれず、いきなり実戦投入されてしまいました。
社長も役員も管理職も「車を売って利益を出す」ということに目を向けて、営業の在り方というところに目を向けません。
だから、売れない営業には恫喝や叱責などでケツを叩くしか能がありません。
そうして、多くの社員が身も心もボロボロにされて辞めていくのです。
この3ヶ月と短い期間は、私が今まで生きてきて、ワースト1と言ってもいいくらいのツライ時期でした。
これも私がまわりに流されるまま、主題性のない学生生活を送ったことに原因があります。
まず、高校1年の頃は高校卒業をの進路は何も考えていませんでした。
進学も就職も何も考えていなかったので、もちろん勉強はしていませんでした。
私は商業科に通っていたこともあって、「何となく就職をするのかな?」くらいに思っていました。
高校2年生の秋くらいから推薦で大学に行こうと思い立ちます。
で、高校1年から2年にかけての内申点はお世辞にも良くなかったため、地元の短大に行って併設する四大に編入する方針で進学したわけです。
ところが、四大の編入は短大に入学早々に諦めることとなります。
実は短大に入って何故か入りたくもない柔道部に入ったからです。
私は高校生の時に柔道部だったので、短大に入学してすぐに柔道部に勧誘されてしまい、うっかり入部してしまったのです。
柔道部の練習がイヤでイヤで、かといって柔道部を辞めることもできなかったのです。
四大の編入をくだらない理由で諦めたのは本当にバカげてしまいますね。
そして、短大の就職活動も本当にいい加減にやってしまった結果、超絶ブラック企業に就職をしてしまいます。
たった3ヶ月の短い間でしたがあの頃は毎日朝が来るのが怖かったのです。
当時は本当にイヤな思いをしましたが、さすがに25年ほど前の話なので、今更Oからのパワハラも会社にも恨みはありません。
とはいえ、Oからのパワハラは「俺はダメな人間なんだ」という風に極度にセルフイメージを下げられました。
私自身も若かったから未熟な点はあったかもしれないですが、あのようなことはあってはならないことなのです。
そう考えると、パワハラを日常的に行う人物というのは精神がおかしい病人なのです。
運悪くそのような人物に取り憑かれた場合は、一刻も早く逃げ出すのが最良の判断なのです。
投稿者プロフィール

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私は独りネットビジネスで自活する40代の男です。
当初は努力や根性でたくさんのサイトや記事を書けば成功すると信じていました。
ただ、この考え方を改めて、マインドセットを独りネットビジネスに書き換えを実施中です。
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